No.109 今の『当たり前』が『夢物語』だった頃・・・
2014年10月24日
地元待望の複合商業施設「Grand Tree」のオープンを11月下旬に控え、東急スクエア、ららテラスとともに、これら商業施設等の充実で私たちの小杉ライフは一層、魅力的なものになりそうです。
このように快適で安全、そして平和な住環境を、我々は日々、当たり前のように何気なく享受しているのですが、この日々の「当たり前」が「夢物語」だった時代があったな、との思いがふと、頭をよぎりました。
ここに1枚の写真があります。
実は日本ではないのですが、1990~1991年の湾岸戦争(イラクによるクウェート侵攻と、多国籍軍との戦い)終結の2年後、業務で中東5ヵ国を訪問し、その際にイラク‐クウェート国境近辺で私が撮影したものです。
左側のイラク軍戦車の上部が多国籍軍の猛爆で大きく崩れています。これら夥しい戦車、装甲車、軍用トラック等の残骸の列は、遠くバグダッドまで10キロ以上にわたり続き、2年経っても放置されています。
案内をしてくれたクウェート人の方は「これは侵攻者への見せしめです。私の親族も数多く戻っていません」と。戦争現場の現実を目の当たりにした時でした。
そして、地元武蔵小杉、川崎市においても戦争による過酷な時代がありました。
MSTから綱島街道を少し南下すると「川崎市平和館」があります。展示コーナーに入るとまず、最初に目に入るのが「川崎空襲」(1944~1945年)という展示パネルです。
夜間に川崎を爆撃する米B‐29の姿を、地上のサーチライトが鮮やかに捉え白く浮かび上がらせています(注:この掲載には、平和館の方より許可を頂いています)。
小杉周辺をはじめ川崎市には、軍需工場が数多く点在し、空爆のターゲットになりました。そのため、その周辺の無関係の一般住民の数多くが、尊い命を散らすことになりました。
それから約70年、Grand Tree建設現場の近くを新幹線「のぞみ」、成田エクスプレスが疾走し、綱島街道にはハイブリッド車が走り、あの厳しい戦争現場、過去の惨事を思い浮かべるのは難しいかも知れません。
帰りに、平和館の外に置かれている「母子像」が目に留まりました。
「大地に生きる母子」と書かれています。どのような時代、時勢でも決して揺らぐことがない母子(親子)の絆を強く訴えていました。
これらのことをしっかり心に留め、来たるべく「Grand Tree」のオープニングを祝いたいと思います。